la dolce vita

記者による映画解説(ネタバレあり)。ときどき書籍にも言及します。

映画『エジソンズ・ゲーム』を観る

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フォーラム山形で、映画『エジソンズ・ゲーム』を観てきた。エジソン役の主演はベネディクト・カンバーバッチ

時は19世紀末、エジソンは苦心のすえ、白熱電球を発明しエジソン・エレクトリック社を設立して大成功。一方、実業家のウェスティングハウスは、大量の発電機が必要なエジソンの直流よりも、コスト面での課題と大陸の広さにおける発電所設置の非効率性を解消する交流が重要と考える。そして、色付きの給金でエジソンに採用されたはずの科学者テスラは交流派で、頑として直流を譲らないエジソンを見限って去ってしまう。

ウェスティングハウスは交流による送電実演をマスコミ相手に行い、話題を攫う。自分のアイデアを盗用されたエジソンは交流は使用者を事故死に追いやる危険な技術だとして、馬を感電死させるなどのデモンストレーションでウェスティングハウスの交流の評判を下げ、ここに直流対交流の電力ビジネス対決が幕を開ける。当初は実際に参謀となっていた老技術者が配線を誤って事故死し、勝負あったと消沈したウェスティングハウスが事業を畳むことを考えるまで追いつめられる。だが、勢力は次第に拮抗し、互いに死刑囚を処刑する電気椅子の開発に絡む訴訟まで行われる始末。

最終決戦の地は万国博覧会が行われるシカゴで、世界中の訪問客に電気提供社としてPRできる絶好の機会だった。資金繰りの関係でゼネラル・エレクトリック社へと社名が変更され、地位も社名も引きずり降ろされたエジソンは最後の望みを部下のプレゼンに掛けるが、ウェスティングハウスに抜擢され水力発電の仕組みを開発したテスラの貢献による低コストプランに軍配が上がった。シカゴ万博も電気椅子処刑もウェスティングハウスの電気提供で執り行われる。万博では名声を博した一方で、電気椅子は死刑囚が惨めに焼け死ぬ結果となり、「人殺しの技術は作らない」というエジソンの名誉は結果的に守られることとなった。

万博会場でエジソンウェスティングハウスは出会い、一勝一敗あった感のある佇まいのウェスティングハウスエジソンの発明における甚大な労苦に敬意を表する。互いに親しく挨拶を交わし、ウェスティングハウスは電力普及ビジネスで、エジソンはまた新しく発明した映写機で後日大いに成功した――。

 

映画(原題はThe Current Warでしょ。タイトル付けなんとかならんのかなあ)はよく知られているエジソンを、必ずしも美化していなかった。もちろん電球発明の父としての功績は紹介されていたが、物語のスタート時点で既に成功者となっていたせいか「発明家」よりも「実業家」としての比較的地味な側面が強調されていたように思える。衣服もほかの登場人物と較べて然程の違いはないせいか、大勢の人間が集まる場面ではカンバーバッチの顔を必死で探さねばならないほどだった。

自然、エジソンのラディカルな面が強調されていたように思う。テスラに愛想を尽かされる原因となった気まぐれな若手技術者の処遇、あるいは資金繰りの失敗で社長の座を追われたくだりは彼が発明家としては優れていても経営家としては無能であることを示しているし、パクられたとはいえ激怒のあまりウェスティングハウスの名誉を大きく傷つける中では、彼の妻、子供に対する家族愛や「人殺しの発明はしない」というコンプライアンス意識もなんだか手垢のついた建前のように思えてしまう。人間臭い、という言葉ではくくり切れない彼の野獣じみた部分に刺激を受けることができたのは演出方の面目躍如かもしれない。

ところで、肝心の電力戦争の裏工作バトルはなんだかよくある探偵ドラマのような感じで、これだったら我らが島耕作のほうがもっとエグいことをしてるという印象が強い。脚本としてはもっと産業スパイとか政治家の介入とか何か盛り込んだほうが良いんじゃないかと思わされたが、そうはいっても史実映画だし二時間という尺ではテスラがカギを握っているという伏線を張るくらいが精一杯なのかも知れない。とはいえ、19世紀末であっても企業や有名人のコンプライアンスというものは重要なのだと体感できた作品であった。

(なお、エジソンの電球発明には欠かせない日本の竹の話しも出てくる。典型的な理科系音痴だった自分が化学のテストで唯一回答できた問題だった)