la dolce vita

記者による映画解説(ネタバレあり)。ときどき書籍にも言及します。

映画『コリーニ事件』を観る

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フォーラム山形で、映画『コリーニ事件』を観てきた。実際の事件ではなく、ベストセラーとなった推理小説を映画化したものらしい。

新米弁護士のカスパーは、ひょんなことからある殺人事件の被告人の国選弁護人となる。ファブリツィオ・コリーニという被告人は、実業界の大物であるハンス・マイヤーをベルリンのホテルで記者と偽って面会の機会を得、銃撃して惨殺したらしい。だが、カスパーにとって被害者ハンスは、両親の蒸発で貧しい少年時代を送っていたカスパーを拾い、学を授け、大学に進学させて弁護士の職を得る手助けをしてくれた大恩人だった。既に彼の息子夫婦、孫の片方は事故死しており、残された孫娘のヨハナと悲しみに暮れる中、嫌々ながらファブリツィオの弁護を始めるが、彼は頑として黙秘を貫く。そうしている間にも、犯人性を裏付ける証拠は次々と提供され、無関係の罪なき老人を惨殺した悪質な犯罪者として「謀殺」の罪による終身刑がほぼ確定的となっていた。

しかし、検察公証人として敵味方に分かれた恩師・マッティンガーは取引を持ち掛ける。ファブリツィオの自供が得られれば、検察庁では「然るべき動機があっての情状酌量」を認める「故殺」で起訴する。その場合の罪は短期服役と大幅に減刑されるという。板挟みとなって行き詰ったカスパーが、匙を投げようとしたその時、ファブリッツィオが口を開いた。彼は裁判長に審理中断を申請し、わずかな証拠を手掛かりにイタリアの某所に飛ぶ。ナチス犯罪センターに調査を依頼し、現地での聞き込み調査を経て浮かび上がってきたのは、1944年に若いハンスがナチの武装親衛隊の一員としてこの地を訪れ、パルチザンのテロで独軍兵士二人が死亡した報復に民間人二十人を銃殺した、その中にファブリツィオの父親も入っていたということだった。

再開された法廷で衝撃の事実を公表し、イタリアから来た証人がハンスの蛮行を明らかにする。マッティンガーはハンスが1968年に姉弟でハンスを起訴したが却下された事実を訴え、弁護側は一時窮地に追い込まれるが、カスパーはマッティンガーが法務省で働いていた際に、謀殺ほう助者は故殺の扱いで、15年の時効とするという所謂『ドレーアー法』の制定会議に出席していた事実を探り当てた。当時の刑法判断に比べれば妥当だと反論するマッティンガーに「では現在の法解釈では、ハンス・マイヤーの不起訴は妥当か。これでも『罪なき人を惨殺した』という主張が罷り通るのか」と問い詰め、マッティンガーは窮して「違う」と証言。法律条項・法解釈の空白と特異点が明らかとなり、どよめく法廷の中で裁判長は、判決を明日とすると述べて閉廷。カスパーとファブリッツィオは会心の握手を交わすが、翌日の法廷にファブリッツィオは現れなかった。裁判長は「被告人は昨夜自殺した」と告げ、審理終了を告げたのだった――。

今回は社会派サスペンスとあって、個々の俳優の演技よりもミステリーとしてのストーリー性を、ドイツ司法の実情と戦争の惨禍にわかりやすく言及しながら重視している印象だった。↑のあらすじ説明ではわからないし、私も法の論理をうまく説明できない人間なのだが、ファブリッツィオが犯人で間違いない点を踏まえて、要は「『殺されても仕方なかった奴だった』と立証できれば情状酌量の余地はあるがね」と検察側が隙を見せたのである。それに一筋の光を見つけて調べていたら、ドイツの戦争に伴う歴史の暗部が晒されたのだ。

終盤で争点となった「ドレーアー法」については邦語で紹介した文献はなく、記事に頼らざるを得ない。

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ナチ政権時代、多くの人間に死刑判決を下してきた司法関係者たちは、戦後「職分を遂行しただけ」と処分を免れた。中には戦後、西ドイツ政権でまた司法の要職に就いた者もおり、制定者のドレーアーもその一人だった。彼は謀殺ほう助者の「故殺として減刑」扱いと「15年で時効」という条項を決定し、そのため軍命令の複雑さで犯行が特定できなかったり、1945年の終戦から15年経っていることを理由に多くの戦争犯罪者が訴追されなかったということらしい。この法律の穴は小説の反響とともに話題とされたそうで、2012年に法務省で調査委員会が設置され、遅まきながらの法整備が急がれているという。

国家ぐるみの過去の克服、表向きは名士であっても「親ナチ」の過去を抱える人間(私が大学1年の頃、受験期間中に『ブリキの太鼓』を読んだドイツのノーベル賞作家ギュンター・グラスナチス武装親衛隊のメンバーであったことを告白し話題となった)の葛藤は今なおドイツという国の宿題として息づいているということが知れる映画だったろう。記事の通り、作品は純粋に作品として楽しんで、見終わった後に背景を調べるのも勉強になりそうだ。

あと、この映画は忘れることのできない教訓を孕んでいる。「99人にとって善人と認められていても、1人に悪人と見做されていたがために名声が地に堕ちることもある」という、要するに分人主義の落とし穴である。最近世に出てくる如何わしい有名人たちは、果たしてこのことを本当に理解しているのか?という愚痴はさておき、ハンスは戦地で民間人を虐殺した一方で、『トルコ野郎!』と罵る孫を叱って「ほっとけばケバブ屋の店員」だったカスパーを救うという行為もした。戦争犯罪というものは、そういう個人の善行と、その恩恵に授かった人間との分人をも殺してしまうのである。