la dolce vita

記者による映画解説(ネタバレあり)。ときどき書籍にも言及します。

映画『ペイン・アンド・グローリー』を観る

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フォーラム山形にて、映画『ペイン・アンド・グローリー』を観てきた。

スペインの世界的映画監督・サルバトールは、背中の痛みや母を喪ったショックから来る軽い鬱状態で引退同然の日々を送っていたが、ある日32年前の映画のシネマテーク上演の依頼が届く。当時対立して絶縁状態だった主演男優のもとを訪れ、和解する際に貰ったヘロインが彼を過去への旅路に誘う。

主演男優アルベルトは、ひょんなことから『中毒』という脚本がPCの中のストック作品として残っているのに気が付く。読んでみたらこれがまた面白い、ぜひ主演でやらせてほしいと訴える。ヘロイン中毒に傾いていたサルバトールは、男優とのすったもんだの末に上演の権利を譲り、公演は大成功に終わる。すると観客席で泣いていた男がアルベルトの楽屋、次いでサルバトールの許を訪れた。男はかつてのサルバトールの恋人だったのだ。回想に耽り、人生の妙味に癒されるサルバトール。

このことをきっかけに、彼は医療によって病を完治させ、ヘロインとも訣別して映画の現場に復帰することを決意。パートナーのメルセデスにある日誘われて行った美術マーケットで、彼は小さい頃の自分がモデルになった絵画を見つける。それは引っ越して行った洞窟の家で、読み書きを教える中で仲良くなった左官職人の青年が描いたものだった。彼の過去の記憶が一気にそれに縮約される。偶然目にした青年の裸体に、彼は何とも言えぬ倒錯した性の衝動を感じたのだ。やがて少年時代の思い出は、快復したサルバトールの復帰作、『最初の欲望』へと収斂していく――。

 

アルモドバル監督版の『ニュー・シネマ・パラダイス』だ!という惹句があったので観たわけだが、トトとの思い出の回想だけだった『ニュー・シネマ・パラダイス』よりも遙かに複雑な構造となっており、同作のような感動を求める観客には合わないと思った。構造化の大きな因となっているものがサルバトールの作中作である。

作中作の使い方、こういう物語で、しかも映画監督を主人公とした場合の作中作は得てして自伝的作品へのナルシシズムへと陥りがちなのだが、本作は追憶のシーンがラストに『最初の欲望』の撮影へと回収される驚きがあり、サルバトールの目線を通じて独立した芸術作品として二重に楽しめるものとなっている。

更に、作中作の『中毒』の上演がまた迫真性があって面白い。薬物中毒者の悲しい物語なのだが、アルベルトを演じる俳優の演技がうまくて、本当にこういう作品があるなら観たいと思わせてしまう魅力がある。世田谷パブリックシアター(ぼくの嘗てのバイト先)のシアタートラムなんかでやってもらうなら観に行くぜ!と思ってしまった。

映画としては人生論映画になるかも知れないが、ぼくはストーリーの書き手でもあるので、作中作という知的なスパイスは実は諸刃の剣であるということ、闇雲に芸術家の主人公に作中作を作らせればいいというものではないということを実践の場で学んでいくに際しては、この映画が良い教材になるだろうと思った。